楽しみ方を忘れてた。
こんちゃ!綿狭ゆうです。
近所の公園で無邪気に遊んでいる子どもを見ながらいま記事を書いている。
小さい頃公園が好きだった。すべり台、ブランコ、登り棒、たくさんの遊具があり僕達は時間を忘れて母親の「帰るよ」って言葉が聞こえるまで走り回っていたはずだった。
僕は複雑になっている遊具のほうが好きだった。
「コンビネーション遊具」という名前なのだろうか、そう記憶している。
登って横に動いてトンネルをくぐり抜けたり、そしてすべり台で滑り降りたり。
組み合わせて作られているところがきっと男の子心がくすぐられたのだろう。
小学校になると遊具で遊ぶより外で友達と鬼ごっこやボールを使って遊ぶ方が楽しくなった。
ドロケイを延々とやったり、ドッジボールをしてたり。体力がつきても走り回ってボールに触れて遊んでいた。
小3くらいだろうか、初めて3DSに触れたのは。息を止めるのができずに(当時は息継ぎなんてできずに)10mほどのクロールも出来なかった暗黒時代を終えてその時のお祝いに買ってもらったDSとポケットモンスター プラチナのカセット。ゲームは1日15分という家庭内のきまりを破り続けてずっとプレイしていた。
化石掘りや通信対戦といった友達と協力や競いながら通信して遊んでいた。
小学校後半になるとWiFi通信をして世界と繋がって遊んでいた気がする。
最近小学生が外で遊ばずに体力が低下してるという話をあちこちで聞く。1つの理由としてスマホやゲームの普及により家で遊ぶことが増えたから だとテレビでは色々言っている。
確かにこれもあるだろう。ゲームって楽しいのだ。
が、1番の大きな理由は外で遊びにくくなったことではないだろうか??
都内の公園でボール遊びをできる場所がいくつあるだろうか??
見渡せば見渡すほど 「ボール遊びは禁止」
「バットは振らないでください」などといった看板が目につく。
もちろん小さな子どもも遊んでいるから配慮しなくてはならない。ボールが当たってしまったら大怪我に繋がるだろう。
ただ子ども達が外で遊べる場所は確実に減ってきている。
6年前の僕達の時ですらちょっとのことですぐ通報されて先生がきた。
きっと公園でボール遊びができたり声を出して話すことができるなら子ども達はきっと無邪気に遊ぶだろう。実際僕たちはそうだったのだし勉強なんて忘れて遊ぶことができるのが子どもたちの特権だ。いつからか勉強ということで好きなものを手放さないといけなくなる時がきてしまうのだから。
きっと僕達は自分の人生にどこか折り合いをつけて何かを選択してきたのだろう。
「受験があるから」「いい成績をとらないといい大学にいけないから」「そんなんじゃ稼げないから」
僕自身もそうだった。お金と将来との問題でやりたいことを手放してきていた。
あと1ヶ月ほどは自由に出歩けないからこそ、本当は何をしたいのか、どう生きて生きたいのか心の中に手を置いて考えてみようと思う。
鬼ごっこをずっとしていたいならば、「逃走中」に出演すればいいのだ。
今の世界は便利なことにやりたいことができ、応援してもらえる社会だと思う。
YouTuberになれば一生鬼ごっこをして生きていけるのだろう。
サッカーが好きなのならプロのサッカー選手以外に稼げる方法を考えればいい。好きなことをして生きていく人生の方がやりたくない事をやるより絶対楽しいから。
すべり台は階段を登るのが辛くても、降りる時には気持ちよく滑れる。ちょっとやそっとの辛さなら耐えることはできるから。
無邪気に遊ぶ子どもたちを見てそう思う暖かい春の1日。