言葉を贈りたい。

こんちゃ!綿狭ゆうです。

言葉を贈りたい。なんてタイトルをつけましたが、特に意味はありません。思うことを書き綴ります。批判は要りません。個人の思うことです。

 

ずっと前から思うことがある。

もし、今日100文字分しか話せないならば誰にどんな言葉を贈るだろうか。と。

 

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僕達は日々言葉を吐き続けている。そして同じように言葉を書き続いている。相手に贈る言葉を間違えてはいないだろうか。そう自問自答し続けている。

「ありがとう。」って言葉を使うと5文字分消費してしまう。1日に「ありがとう」としか言わないならば20回しか言えないのだ。

誰に何を感謝するのだろう。

100文字しか使えないとなると優先順位が出てくると思う。

お母さんに言葉を贈るのか、友達に贈るのか、それとも独り言に消費するのか、はたまた誰か知らない人に対して吐く悪口に使うのか。

100文字分しか使えない大事なものを「ごめんなさい」という6文字を使って素直に謝れるのか。

きっと要らない言葉は無くなって綺麗な世界になる気がする。残る言葉が大事な言葉なのだろう。

 

 

僕は名前に「さん。」を付けることを心がけている。異性や目上の人と適度な距離をとるために。

この「さん。」付けは小説、君の膵臓をたべたい に出てくる 主人公が恋した女の子がそうしていたらしい。

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桜良に「好きな人はどんな人だったか」という

ことを聞かれて、僕(主人公)はこう答えている。

 

「どんな人か、か。そうだね、『さん』、をつける人だった。

 

「……中学生の時、クラスにいたんだ。きちんと、何にでも『さん』をつける女の子。本屋さん、店員さん、魚屋さん。教科書で出てくる小説家なんかにもね。芥川さん、太宰さん、三島さん。果ては食べ物にもつけてた。大根さん、なんて具合に。(本文引用)

 

きっと何文字しか話せないと決まった世界があったとしても今の僕は名称や敬称に「さん。」をつける。それが僕なりの敬意だ。

 

言葉が洗練された社会がもしあるとするならばさっき電車の中で聞いた知らない人の悪口や、

誰かのゴシップネタ、口喧嘩なんてなくなっていくだろう。

 

Twitterには絶え間なく誹謗中傷があり、掲示板なんかにもあるのだろう。僕は見たことがないし見ようとも思わないが。

思春期特有の親との喧嘩も少なくなり、この前自分の意思とは関係なく口にした誰かへの悪口の同意もしないだろう。

 

Twitterは140文字と制限があるからより楽しい140文字という文字数が絶妙に効果を発揮している     的なことを誰かが言っていたのか記事が何かで読んだのかソースは覚えていないが頭の中にある。

 

誰かを悲しませてしまう前に、1回自分が普段どんな言葉を発しているのか、考えて見てほしい。

そんな思いを胸に今日も生きている。