AfterコロナとWithコロナ。
こんちゃ!綿狭ゆうです。
コロナウイルスのせいにより生活がめちゃくちゃになってる日々です。
本屋さんは不要不急のものなのかという問いの答えは不要不急ではないそうであちこち閉まってます。活字中毒者にしてみたら、本屋さんは生活に密接に関わってるお店です。
大学の図書館はオンラインで本が読めると聞き、楽しんでる生活を送ってます。
さて、コロナが僕達にもたらしたものとして何があげられるでしょうか。
最近ではzoomという背景合成をした飲み会が流行っているそう。そして会社に通勤せずに自宅で仕事をするリモートワークなどなど。
確実に言えることはもし、コロナの一難が去ったとしても変わってしまった生活は完全には戻らないでしょう。世界はちょっとずつ変わっていくし良いように動いていってくれれば、僕達の世界が良い方向に動いてくれればそれが1番です。
企業のテレワークによってできる人とできない人の差がはっきりしてしまうのではと思っています。
LINE電話やSkypeはあるものの、テレワークと言ってもLINEやメールを駆使することが多くなると思います。無駄な文章を省いたり、必要なことを伝える能力がちょっとずつ問われるのではないでしょうか。面と向かって会話をしてコミュニケーションができないからこその難しさ。文章を読み取って理解する能力が問われてると思います。
学生の間では授業がオンラインになるかならないかの話がされています。学習塾でもオンライン授業をするかしないかのニュースが流れていたり、教育のオンライン化は大事な話題でしょう。
授業がオンライン化になると、先生が少なくて済みます。オンライン化は3つの可能性があります。
- 教授が実際に授業しているのをチャットで質問する。
YouTubeライブやツイキャスみたいな感じです。人数が多くなれば多くなるほどコメント欄
を読むのが難しくなりそう。
2.教授が実際に授業しているの見ながら、こちらも教授に見られる。
世の中の大人(綿狭家の親はこれを想像)はオンライン授業というとこれを想像してるのでは??
たくさんの人が同時に話してしまうと聞き取れない問題が絶対浮上してくると思います。
それと個別に対応できないために、できる子がつまらなくなってしまうのでは??と。
3.教授、先生が収録したものを一斉公開
これをしてしまうと教員が必要なくなってしまう。1年目はいいにしてもきっとこれはどの先生がいいのか精査されるはず。教員界隈かはたまた教育系YouTuberか。
1度オンライン授業になってしまうと学校通う時間ももったいなく感じるし、1度録画したものを使えばいいじゃん!という発想になるだろう。中高の部活ブラック問題もきれいさっぱりなくなるのでは。
なんて思っている。
どう世界が転ぶにせよ、僕達はオンライン飲み会の楽しさを知ってしまった。きっと遅かれ早かれオンライン飲み会にシフトした居酒屋さんが出てくるのではないかと思っている。
1晩考えた結果、こんな感じのは思いついた。
一言で言うとネットカフェだろう。ネットカフェのように個室になっていて後ろがzoomできるようになっているような感じ。
タブレットでメニューを注文し、前の扉から出てくるような感じだろうか。
オンライン飲み会専用の居酒屋さん。
時代はどんどん変わっていく。時代に飲み込まれるよりは適応したいくほうが絶対楽しいだろう。このコロナウイルスによって幸か不幸か世界は絶対変わっていく。どうやって生きていくのかを考えなければならないし、今とは違うように変わっていかなければならない。
どう変わっていくのか、どう動くのかを考える機会だと思っている。
理想の生き方のために。
こんちゃ!綿狭ゆうです。
いつもと変わらない日々が続き、少しでも理想の1日になるようにアップデートしている毎日です。
本を読んでブログを書く。ここに加えて旅行ができる生活が僕の理想の生活です。さぁ、そんな生活にするためにどんな生き方をすればいいのか日々考えています。
今まで生きてきた18年間を振り返ると、1つ自分の長所に気付きます。物欲がないことに。
新たな○○を求める人ではない。ということです。新たなお洋服、新たな時計、新たな車。
自分の好きなものを買いたいと思っているので、好きなものがあれば買う生活をしていますが、基本的に物は買わない生き方。とりわけ、オシャレには興味が今のところなく、買うにしても少量なはずです。
電化製品なども1度一人暮らしや新生活のために揃えたら壊れるまで使い続けるはず。
理想の生活をイメージした時の家具は買うが、生活を常にアップデートしたり、新しい機種が出たら買うみたいな生活はしないと思ってます。
食事は好きなのできっとお金に余裕が出てきたら色々食べに行ったりすると思いますが常に贅沢なご飯は食べないと思う。
そんな人間なので過去に1度どれくらい月に稼げればいいのかというのを計算したことがあった。
食事は、正直丸亀製麺のうどんが毎食で構わない。300円×3食×30日。 3万円ほど。
が、一人暮らしするならうどんを買って自炊した方が断然安い!!
Always Lunchというサービスがあり、月1万弱ほどで対象の地域なら食費が済んでしまう。
一人暮らしするならば都内に住む必要もなく、福岡や京都へ行くだろう。
お風呂は、シャワーで充分だと思っている。
となるとトレーニングジムのお風呂の方がいいじゃないか。という発想だ。体も鍛えられて一石二鳥。
家賃はシェアハウスをすればいくらでも低く抑えられる。寝る場所だけは確保しないといけないが抑えようとしたら下げられるだろう。
あとはWiFi水道ガス光熱費などもろもろだろうか。
そう、そんなにかからないのだ。娯楽費、本が好きだからずっと読んでいたい。
本に関しても西野亮廣さんの「新世界」という本を読み しるし書店 というサービスを知った。
コロナが収束するか少し治まったら始めてみようかなと思う。2000円か2500円くらいで自分の視点を売ってみたい。となると本にかかる費用は0になると信じたい。
映画や旅行、音楽などにお金はかかるがそれはその都度払うために稼ぐとすると月7.8万あれば生きていける計算になるのではないか。歯ブラシやシャンプー、洗剤など買わなければいけないものはあるがそんなもんで生きていけるかもしれない。
さぁ、問題は月7.8万円をどうやって稼ごうか。
少しでも楽しく生きていくためにそればっかし考えているのは事実だ。
大学4年間こんな感じのブログを書き続けたらファンになってくれる方はいるだろうか。
収益がちょっとでもあげられたらそれはそれで嬉しい。積み重ねてきたブログに少しでもファンができてくださったら収益になるだろう。
仮にブログの収益が1PVにつき0.3円だと仮定する。もちろんアフィリエイト云々やまだ調べてないことも多いため、一概にこうとは言えないがそう仮定しよう。
月80000円稼ぎたいとしたら1日当たり2600円ほど。
2600÷0.3=8888回。
税金云々があるため1万PVほど毎日見てくだされば生きていけそうだ。
在学中に留学に行く予定だが(行けるかも怪しくなってきた)現地での生活をYouTubeで撮ってみようか。
こういうことを考えているのが楽しくて楽しくてしょうがない。
さぁ、どうやって生きようか。
仕事=辛いもの ならそんなことはしたくない。
自分自身に何度も何度も聞きながら日々を過ごさなければ。
さぁ、どうやって生きていこうか。
あえてレールに乗っかった上で勝負をしたい。
こんちゃ!綿狭ゆうです。
西野亮廣さんの書籍である「新世界」という本を読んでいてふと思ったことがあるので書き綴ろうと思う。
新世界の扉にこんな文言があった。
その当時のボクが走っていたレールというのは、タモリさんや、たけしサンや、さんまサンといった先輩方が、もともと何も無かった世界に敷いてくださったレールだ。当然、そのレールを走ると、最終的には、最初にレールを敷いた人間の背中を押す作業になる。
という文章についてだ。
この文章を読んでいてこう考えていた。
あえてレールに乗っかった上で自分を表現したい。 と。
僕自身バラエティ番組を見ていないため西野亮廣さんが出演していた「はねるのトびら」という番組を1度も見たことがない。芸人の大袈裟なボケが嫌いなので基本的にバラエティ番組は見ないようににている。席からわざと落ちたり、漫画のようにコケたり。あれなテレビにでる芸人さんに求められることなのも1番最初に教わることなのだろうということも分かるが嫌いだ。人数が多ければ多いほど、単純に自分の出れる枠が少なくなる。とすると、それでも出るためには何かしら突っ込んだり笑いを取る必要がある。ひな壇の芸人が多くなれば多くなるほどつまらない些細なことを突っ込まなければいけなくなるから話が進まない。そんな感じ。
今どきの例で話すと何だろうか。
ミュージシャンがミュージックステーションに出れば出るほど司会のタモリさんの株があがる
ということだろうか。
YouTubeでYouTuberをやればやるほどGoogleが広告収入で儲かるということだろうか。
やはり何かを生産する側の人間は強い。
自分の商品を何か持つことも然り、番組を持つことも然り、自分の発信できるものを持つことも然り。生産することに喜びをみい出せれば消費するしかない生き方よりも格段に楽しくなるのではないだろうか。
はてなブログで書いているこの付加価値ブログにしたって将来広告収入化ができたらいいなと考えている。この広告収入を先程の引用例で話すとこうなる。
はてなブログで収益を得れば得るほど、はてなブログにお金が入る。
きっと他人はそこまで考えないだろう。
僕自身もそこまで考えていない。誰と一緒に利益を得ることになろうがあまり気にしない。
せっかくこの引用例を読んだので少し掘り下げて考えてみたがやっぱり僕自身このブログに関してはどうでもいい。Word Pressでもなく、アメーバブログでもなく、はてなブログを選んだのだ。たったそれだけの差だ。
人によっては0からブログの構築を考える人もいるだろう。が僕は母体があるブログで努力することを決めた。
万が一たくさんの人に見られることになりはてなブログを辞めて他のブログに乗り移ることがあるかもしれない。そうなっていたら幸せだな。
さぁ、僕には何が表現できるだろうか。
旅行やホテル関係をとりあげていきたいな。
やりたくないこと、嫌なことは明確になっているからこれもきっと取り柄だ。
大学生活が忙しくなるまで書きたいことを書き綴ろう。
西野亮廣さんの「新世界」 是非御一読を。
情報が1番の武器である。
こんちゃ!綿狭ゆうです。
今日は 情報が1番の武器である。 という話をしようと思う。
僕達は日々大量の情報を見聞きしながら生きている。例えば毎日見るであろう天気予報ですら、ネット、新聞、テレビとメディアはたくさんあるし、チャンネルや会社によって与えられる情報はバラバラだろう。
情報は与えられるものを受け取るだけでは不十分だと思う。自らが手に入れる姿勢で望まないと新鮮な正しい情報は手に入らないのではないか。受け身に周り、与えられた情報のみに頼っていたらダメなのではないか と最近思うようになった。
天気予報というのは占いのようなものなのだろう。「○○の媒体で○○さんが言ったから。」ただそれだけの理由で外れたら文句を言う。
僕達は気象予報士ではないため自分達で天気を当てることは難しい。だからこそ本当に情報が欲しいのなら精査して得るべきだと思っている。
いまスマートフォンの普及により簡単に情報が手に入るようになった。1つ無料のニュースアプリを入れることで得られる情報の幅は格段に増えた。僕達はいま、それらのニュースアプリや情報を得るアプリを組み合わせて駆使しして生きていくしかないのだ。
コロナウイルスのために我が家には3月の後半にこんな情報が母親から入っていた。
「4月1日に東京がロックダウンされるって。」
そんな情報はTwitterでたくさん流れていた。
新しい、新鮮な情報だからといって与えられた情報が全て正しいとは限らない。ましてや、Twitterなどの匿名SNSはなおさらだ。個人が適当に嘘を書き連ねることは容易にできるだろう。
母親がTwitterをやっているとは思えないので情報元は買い物途中での主婦の話し合いを聞いたか何かだろう。それだけの情報元によって惑わされて買いだめをしていたのだ。
そんなことがあった。1番身近にあるスマートフォンで簡単に情報が検索されることができるようになった今こそ情報判断の力が試されていると思う。
テレビなどのメディアで殺人などの暗い報道をしたあとの広告は買う人が増えるらしい。
そのために企業はニュース番組の広告を買っているのだろう という記事をどこかで読んだ。
明らかに今回のコロナウイルスが収束したあとに不景気不景気とメディアは煽ってくるだろう。来年に延期されたオリンピックが終わったらなおさらだ。
僕達の就活とも被ってしまう。やはり2の矢・3の矢は絶対に持っていた方がいい。
情報に惑わされずにどう生きていくか。
きっとそれがあなたの人生を明るく豊かにすると思う。
言葉を贈りたい。
こんちゃ!綿狭ゆうです。
言葉を贈りたい。なんてタイトルをつけましたが、特に意味はありません。思うことを書き綴ります。批判は要りません。個人の思うことです。
ずっと前から思うことがある。
もし、今日100文字分しか話せないならば誰にどんな言葉を贈るだろうか。と。
僕達は日々言葉を吐き続けている。そして同じように言葉を書き続いている。相手に贈る言葉を間違えてはいないだろうか。そう自問自答し続けている。
「ありがとう。」って言葉を使うと5文字分消費してしまう。1日に「ありがとう」としか言わないならば20回しか言えないのだ。
誰に何を感謝するのだろう。
100文字しか使えないとなると優先順位が出てくると思う。
お母さんに言葉を贈るのか、友達に贈るのか、それとも独り言に消費するのか、はたまた誰か知らない人に対して吐く悪口に使うのか。
100文字分しか使えない大事なものを「ごめんなさい」という6文字を使って素直に謝れるのか。
きっと要らない言葉は無くなって綺麗な世界になる気がする。残る言葉が大事な言葉なのだろう。
僕は名前に「さん。」を付けることを心がけている。異性や目上の人と適度な距離をとるために。
この「さん。」付けは小説、君の膵臓をたべたい に出てくる 主人公が恋した女の子がそうしていたらしい。
桜良に「好きな人はどんな人だったか」という
ことを聞かれて、僕(主人公)はこう答えている。
「どんな人か、か。そうだね、『さん』、をつける人だった。
「……中学生の時、クラスにいたんだ。きちんと、何にでも『さん』をつける女の子。本屋さん、店員さん、魚屋さん。教科書で出てくる小説家なんかにもね。芥川さん、太宰さん、三島さん。果ては食べ物にもつけてた。大根さん、なんて具合に。(本文引用)
きっと何文字しか話せないと決まった世界があったとしても今の僕は名称や敬称に「さん。」をつける。それが僕なりの敬意だ。
言葉が洗練された社会がもしあるとするならばさっき電車の中で聞いた知らない人の悪口や、
誰かのゴシップネタ、口喧嘩なんてなくなっていくだろう。
Twitterには絶え間なく誹謗中傷があり、掲示板なんかにもあるのだろう。僕は見たことがないし見ようとも思わないが。
思春期特有の親との喧嘩も少なくなり、この前自分の意思とは関係なく口にした誰かへの悪口の同意もしないだろう。
Twitterは140文字と制限があるからより楽しい140文字という文字数が絶妙に効果を発揮している 的なことを誰かが言っていたのか記事が何かで読んだのかソースは覚えていないが頭の中にある。
誰かを悲しませてしまう前に、1回自分が普段どんな言葉を発しているのか、考えて見てほしい。
そんな思いを胸に今日も生きている。
やりたいこととその先。
こんちゃ!綿狭ゆうです。
そーいえば半年ほど前に進路を決めた。といっても消去法だったが。付属の高校から大学へ行く、という周りに羨ましがられる進学をするがこちら側としても色々大変なのだ。
高校の成績によって上から希望学部が割り振られていく。自分が何番目かも知らずに3年間を過ごして気付いたら決まっていた。
メジャーな学部には惹かれなかった。
法学部、政経学部、商学部、経営学部、文学部。文系のメジャーな学部はこんな感じだろうか。どの学部にも行かなかった。ニッチなところを目指した。きっとこのブログでは大学名も学部名も明かさないから知ってる方は秘密厳守でお願いしたい。色々と面倒なことになりそうだから。
正直に言うと、これらの学部に属しても他人との差別化には繋がらないと考えたからだ。
差別化。それはいつも考えている。きっかけは左利きだからだろうか。左利きというのは常に居場所や座る場所を考えて配慮してる人が多かったりする。特に僕はスポーツで恩恵を受けた。そこまで強かったわけではないし全力でやっていたわけでもない。部活程度に卓球をやっていた。卓球という種目は回転のスポーツなのだがまぁ、左利きが強い。回転が反対なのと、右利きからしたら希少性によるやりづらさ。これだけで充分なアドバンテージだ。現に石川佳純さんや、水谷隼さん、今年の全日本の女子王者早田ひなさんは左利きだ。
そんな左利きをやっているとニッチか方を選ぶ方がライバル数が減ることに気づく。だから僕はニッチ(学部に失礼だが)な方を選んだ。あとやりたいことができるからだ。
最悪、経営や経済は本で自分から学ぶことができる。そういう本ばっかり読むのである知識によっては学んでいる生徒よりも高いかもしれない。
付属生徒というものは舐めているので文学部に行きたがらない。だから余る。文学部に行きたくて行く人もいるが最後は残って行く人だろう。贅沢な話だ。
「文学部に行ってどうするの??」なんて親に聞かれたという話を聞いた。そう今日の本題はこちらだ。僕も聞かれた。
「○○学部なんか行って学びたいことあるの?将来なんの役に立つの??」と。
学んでもないのに言わないで欲しいよね。そんなもの誰にも分からないんだから。
僕が何も学ぼうと学費は出してもらったが何の関係もないだろう。自己満足の話じゃないか。
ニッチな学問を学んでも何かしら絶対自分のものにするし、役に立つチャンスがあるなら役立てるに決まっている。どこでどんなチャンスと未来が待っているかなんて分からないんだから、学べるものを学びたい。少しでもライバルがいない場所で。
ライバルが多いとできる人間が必ずいる。
ライバル数を減らすということは確率的にできる数を減らすのだ。どこかで戦わなければならないのだからできる人100人と戦うより1人と戦う方が楽だろう。
「お金出したからからちゃんとやって」という関係からはやく脱出したい。自分からお金を稼いで自分の意見を言えるようになりたい。強くなりたい。もちろん親にも周りの全ての人にも感謝している。
そろそろ20なのだ。自立しなきゃ。
楽しみ方を忘れてた。
こんちゃ!綿狭ゆうです。
近所の公園で無邪気に遊んでいる子どもを見ながらいま記事を書いている。
小さい頃公園が好きだった。すべり台、ブランコ、登り棒、たくさんの遊具があり僕達は時間を忘れて母親の「帰るよ」って言葉が聞こえるまで走り回っていたはずだった。
僕は複雑になっている遊具のほうが好きだった。
「コンビネーション遊具」という名前なのだろうか、そう記憶している。
登って横に動いてトンネルをくぐり抜けたり、そしてすべり台で滑り降りたり。
組み合わせて作られているところがきっと男の子心がくすぐられたのだろう。
小学校になると遊具で遊ぶより外で友達と鬼ごっこやボールを使って遊ぶ方が楽しくなった。
ドロケイを延々とやったり、ドッジボールをしてたり。体力がつきても走り回ってボールに触れて遊んでいた。
小3くらいだろうか、初めて3DSに触れたのは。息を止めるのができずに(当時は息継ぎなんてできずに)10mほどのクロールも出来なかった暗黒時代を終えてその時のお祝いに買ってもらったDSとポケットモンスター プラチナのカセット。ゲームは1日15分という家庭内のきまりを破り続けてずっとプレイしていた。
化石掘りや通信対戦といった友達と協力や競いながら通信して遊んでいた。
小学校後半になるとWiFi通信をして世界と繋がって遊んでいた気がする。
最近小学生が外で遊ばずに体力が低下してるという話をあちこちで聞く。1つの理由としてスマホやゲームの普及により家で遊ぶことが増えたから だとテレビでは色々言っている。
確かにこれもあるだろう。ゲームって楽しいのだ。
が、1番の大きな理由は外で遊びにくくなったことではないだろうか??
都内の公園でボール遊びをできる場所がいくつあるだろうか??
見渡せば見渡すほど 「ボール遊びは禁止」
「バットは振らないでください」などといった看板が目につく。
もちろん小さな子どもも遊んでいるから配慮しなくてはならない。ボールが当たってしまったら大怪我に繋がるだろう。
ただ子ども達が外で遊べる場所は確実に減ってきている。
6年前の僕達の時ですらちょっとのことですぐ通報されて先生がきた。
きっと公園でボール遊びができたり声を出して話すことができるなら子ども達はきっと無邪気に遊ぶだろう。実際僕たちはそうだったのだし勉強なんて忘れて遊ぶことができるのが子どもたちの特権だ。いつからか勉強ということで好きなものを手放さないといけなくなる時がきてしまうのだから。
きっと僕達は自分の人生にどこか折り合いをつけて何かを選択してきたのだろう。
「受験があるから」「いい成績をとらないといい大学にいけないから」「そんなんじゃ稼げないから」
僕自身もそうだった。お金と将来との問題でやりたいことを手放してきていた。
あと1ヶ月ほどは自由に出歩けないからこそ、本当は何をしたいのか、どう生きて生きたいのか心の中に手を置いて考えてみようと思う。
鬼ごっこをずっとしていたいならば、「逃走中」に出演すればいいのだ。
今の世界は便利なことにやりたいことができ、応援してもらえる社会だと思う。
YouTuberになれば一生鬼ごっこをして生きていけるのだろう。
サッカーが好きなのならプロのサッカー選手以外に稼げる方法を考えればいい。好きなことをして生きていく人生の方がやりたくない事をやるより絶対楽しいから。
すべり台は階段を登るのが辛くても、降りる時には気持ちよく滑れる。ちょっとやそっとの辛さなら耐えることはできるから。
無邪気に遊ぶ子どもたちを見てそう思う暖かい春の1日。