wって嫌い。
こんちゃ!綿狭ゆうです。
使える言葉に限りがないからいらない言葉まで
吐いてしまう。 そういう意見の持ち主だ。
もしあなたが今日100文字しか話せないならば
「受けるww」とか、「死ねよ」とか、「クソゲー」なんて言葉を使うだろうか??
僕達は言葉を生産してそしてまた消費してい
る。綺麗な言葉を生み出す一方で、汚い言葉、
誰かを傷つける言葉を口にしている。
ここ最近、無口になった気がする。どうでもいい言葉、誰かを傷つけるための言葉を吐かなくなった気がする。これが大人になったということだろうか。
どうでもいい話題や、誰かのゴシップ、悪口大会に興味がないだけかもしれない。
ネット用語なんて物がある。
「草生える」とか「ww」とかそんな言葉。
3年ほどTwitterやってきてちょっとは耐性がついたかと思えば僕はまだ「w」という文字に慣れていない。
w っていう文字が嫌いだ。 SNSを使って会話をすると相手の顔が見えないため行き違いになることもある。「怒ってる??」なんて返信を返されたり、はたまた怒ってるように見えてしまったり。 句読点や読点、絵文字やびっくりマークを用いて僕達は雰囲気を和らげたり工夫をしている。その中に 「w」と「笑」があるように思える。
「w」って冷たく嘲笑っているかのように捉えてしまう。見下されて馬鹿にされてる感じ。
分からない人には分からない。日々使っている人はきっと分からないだろう。
使う言葉によってある程度の人のレベルというものは判断できるのだろう。
ある僕の友人は「了解」と「諒解」を使い分けていた。その友達によるとこうだ。
了解というのは、 終了のように終わること。
諒解というのは、話の途中に使う言葉。
辞書をひくとこう載っていた。
「了解」には、相手の考えや事情をわかった上で、それを認める意がある。
きっと誰もここまで求めていないし知らないと思う。だがこの違いを使い分けられる人、そして知っている人は相当な知識を持っているのではないか。
使う言葉でその人のレベルが分かる。きっとそれは確かな事なのかもしれない。
何でもかんでも「ヤバい!」で終わらせる人。何がヤバいの分からない。良いのか悪いのか。
テストの返却時に「俺、絶対点数ヤバい」と言って答案を貰い「ヤバい!!」というやつ。
いいのか悪いのか、どちらにも使える便利な言葉。そんな言葉ばっかり使って本来使うべき言葉を使う機会を逃してないだろうか。
もっと日本語を大事にしよう。そう思った今日この頃。