いまの自分とこれから。
こんちゃ!綿狭ゆうです。
高校在学中の夏休みに海外研修ということでアメリカの方に行ったことがある。ニューヨークで国連を見たりタイムズスクエアを歩いたり、
後半はボストンでホームステイをする研修だった。
ニューヨーク と聞いてどんなイメージがあるだろうか?
経済、文化、全ての中心地。そんなイメージがある。実際にウォール街があり、タイムズスクエアは夜も賑わっていた。ウォール街は行けなかったし何故か自由の女神も見てないのでまた行きたいと思っている。
タイムズスクエアでは半日ほど自由行動があり班でかたまって行動した。
国際連合の建物を見たり、
MoMAという美術館(2つ美術館に行き写真を撮ったがどっちの美術館の写真か分からないのでもしかしたらMoMAの写真じゃないです。美術興味ないので調べようとも思いません)
美術館で見た絵なんですけど、誰でも描けそうな絵を見てきました。きっとこの絵の画家は「○○さんの絵のタッチは……」なんて言われるんだろう。全く良さが分からない。
そんな風に自由行動をしていたお昼にどこも入れる場所が無く、とりあえずのマックに入った。
この時はまさかこのマックが考え方を変える原因になってるとは思わず、写真すら取っていない。思い返すとここでのマクドナルドの見たものが考えを形作っている
このマクドナルド、タブレットで注文するのだ。タブレットで注文するお店、日本にはあるだろうか??例えば回転寿司のチェーン店。
最近は回転すらさせずにタブレットで注文し車みたいな新幹線みたいなアレが運んできてくれる。無駄に作る必要もなくなり鮮度も保たれる。そしてカラオケ店の曲をいれる機械の中にあることもあるだろう。それくらいしか思い浮かばない。
ニューヨークのマクドナルドはタブレットで注文するのだった。新鮮で驚いた。もちろん英語が堪能ではなくメニューが読めない。きっと旅行者のあるあるに、お店にあるメニューが見えずに注文が難しいことがあげられる。
戸惑うし読めないし注文する能力もない。
マックのように上にメニューが表示されると必殺技の「This one.」も伝わりにくい。
そんなマクドナルドで時間を使いながら注文したのだ。コカ・コーラは大きかった。とてつもなく。そして全サイズ1ドルだった。
昔行ったカリフォルニアのディズニーランド近くのマクドナルドは飲み放題だった。
マクドナルドといえば店員さんの笑顔だろう。
「笑顔ください」なんて言葉が流行っていたような気もする。純粋な小学生だった僕はあの笑顔を提供する側にいつかは回るのだろうと思っていたがそうはならなかった。高校生バイト禁止という厳しい校則の元育ったがあのマクドナルドを見て考えが変わった。
「誰でもできる仕事したくない。」と。
マクドナルドの店員さんなんて山ほどいる。例えそこで努力し結果を残そうとも何も変わらないのだ。
マニュアルを覚えれば代わりなんてたくさんいる。ならやる必要は無いな。という結論になった。もちろんバイトの経験を積むことでコミニケーション能力や責任など学ぶことは多いだろう。だがそれでも換えの効く仕事なのだ。
誰でも出来る仕事やものはしたくない。
そう思えるようになった。例えば家事。
僕は家事に一切の楽しみを感じない。やるのも面倒だ。その面倒な仕事にかける時間を他の趣味に使えるなら喜んでお金を払うだろう。家事代行サービスを雇ってだ。お風呂掃除やトイレ掃除、洗い物や洗濯。
お金を貰えならやるよ!って人はいるだろう。
そういう人に任せたい。
僕にしかできない仕事、それはきっと僕の付加価値だ。まだ見つけられていない。例えばこの文章だ。僕にしか書けない言葉を選んで作っている。需要があればそれは仕事になる。生意気な学生なので自分にしかできないことを見つけたいと思っている。そして嫌な仕事は一切したくない。
「仕事は嫌なもの」なんて聞くけどクソくらえ。やりたくないものに割く時間なんかないのだ。楽しいもの好きなものに熱中していたい。
そう思って日々をいま生きている。